佐藤佐平治は片貝を代表する慈善家として知られています。 江戸時代を通じて、大地主として片貝でも指折りの土地を所有し、多くの米を生産していました。一方で醸造業としての生業も行っていました。「粟守酒」という薬酒を生産しており、日本全国に出荷され珍重されていたことが記録されています。 こうして片貝でも一番と言っても良いほどの財産をもつ佐藤佐平治ですが、彼がただの豪農であればそれほど歴史に名前は残さなかったことでしょう。 佐藤佐平治の最も功績として讃えられることが、「利他の精神」です。 佐藤佐平治は、財を自分や家のために使うのでなく、有事に備え蓄えていました。佐藤家の敷地の中には米や酒を保管するたくさんの蔵があったことが絵図などに残っています。このうちいくつかの蔵は、災害に備えて蓄えるためのものでした。 佐藤佐平治の逸話で最も有名なのが、天明・天保の飢饉の時でした。日本中で大規模な食糧不足なった時、彼は備蓄用の蔵を開放し、救える人すべてを救おうと努めました。遠く秋山郷から救いを求める列ができたほどでした。そして一日も早く人々が普段の生活に戻れるように、復興できるように、自らの財をすべて出し尽くしました。出し尽くしても足りない時は、借金してまで施しを行っていました。こうして、佐藤佐平治は平時より慈善家として当時としても知られるようになりました。 一方、豪農でありながら、普段から質素に暮らすことを信条としていた家でした。佐藤家の使用していた食器をよくみると、当時豪農と言われた比較してもとても質素なものを使っていたことがわかります。さらに注目したいものが、その質素な器を丁寧に直して使っていることです。当時の生活様式からしてもすぐ廃棄してしまうほどの破損でも漆でしっかり繋ぎ、ものを可能な限り大切にしようとする心が伝わってきます。こうして、自分たちは質素に生活しながら、有事にはその蓄えを出し尽くすという慈善家としての大きな側面を資料から見ることができます。 今でも片貝に伝わる「忍」の一文字には、佐藤佐平治からの我々が忘れているかもしれない大切な哲学を感じることができます。