学芸員 白井雅明 今一押しの文化財『朝日山古戦場』【2024-常設展示】
がくげいいん しらいまさあき いまいちおしのぶんかざい あさひやまこせんじょう 2024 じょうせつてんじ戦争遺跡から見る朝日山古戦場 ~近年の調査成果から戊辰戦争の戦場を復元する試み~
【目次】 1. 朝日山の戦いの概要 2. 朝日山古戦場の概要 3. 太平キ陣地の調査 4. 吉ヶ沢陣地の調査 5. 発掘調査等による出土遺物の概要 6. 今後の展望
1. 朝日山の戦いの概要
慶応4年5月10日、朝日山北側に位置する三国街道の要衝「榎峠」で戦が始まり、12日には付近の村は同盟軍により占領された。新政府軍は街道確保のため、朝日山へ攻撃を始める。新政府軍の指揮は、長州藩山県狂介(有朋)・時山直八等が、同盟軍の指揮は、長岡藩河井継之助・桑名藩立見鑑三郎等がとった。 13日早朝、深い霧に乗じ新政府軍は山頂めがけ奇襲をしかけたが、山中に構築された陣地により返り討ちとなり、時山直八が討たれるなど、大きく戦力を失うこととなる。以降19日までの間、梅雨雨の中、同盟軍が有利に戦いを進めることとなる。この間の戦いにおける戦力として、同盟軍5千、新政府軍1万の兵を集めたと言われている。 膠着状態にある戦況を打開するために、新政府軍は1隊をそのまま朝日山の戦いにて引き付け、もう1隊を長岡城へ向かわせた。結果として、19日長岡城が落城することで、榎峠の戦略的価値が乏しくなることで、戦局が蒲原へと移っていく。
2. 朝日山古戦場の概要
朝日山古戦場は、新潟県小千谷市浦柄の朝日山(集落では太平キと呼称)にある北越戦争における戦場跡である。標高341m、集落からの比高は290m程度である。フォッサマグナ東端における隆起帯に位置する。このため、山全体が軟弱な地盤であり、2004年発生の中越地震において、大きく地崩れしたことで知られる。一方、自然の作用により急峻な地形が形成されることで、天然の要害となり、南北朝~織豊期にかけて山城として利用された痕跡が確認できる。 朝日山山頂へは浦柄集落から徒歩約50分で登山することができ、「野営場」「フランス式の塹壕」とされる遺構の観察が可能である。さらに北越戦争関連の展示館を兼ねた展望台が整備されており、ハイキングをしながら戊辰戦争について訪ねることができる小千谷市民にとって大切な行楽・学習の場でもある。山中には北越戦争で戦死した兵士たちの墓標が点在しており、北越戦争直後に浦柄集落の人々によって新政府軍・同盟軍に関わらず手厚く葬られたことで知られる。山麓に所在する浦柄神社に建立された墓碑は、白虎隊士や時山直八をはじめとして、新政府軍と同盟軍が同じ空間で祀られており、小千谷市民だけでなく福島県民や山口県民からも大切にされている。小千谷市の学校教育においては、小千谷市民の性質とする「やさしさ」を象徴する事例として取り上げられる。 令和4・5・6年度に、市民有志とともに現地踏査による遺構確認や、金属探知機を利用した銃弾関連の発掘調査を実施している。調査の成果として、榎峠から朝日山にかけて6か所の陣地と40基以上の塹壕等遺構を確認している。
3. 太平キ陣地の調査
平坦部と急斜面部から構成される。山の中腹から続く急斜面にある1m幅の細道は平坦部に向けの隘路となり、さらに桝形状に曲がって取り付く。この平坦部は500㎡程度で朝日山において比較的広い平場であり、周囲三方を土塁に囲まれている。なお桝形状と土塁については中世山城の痕跡を効果的に再利用したものと考える。 平坦部東側に向けさらに山頂へ続く急斜面が展開し、距離約150m・比高約50mで山頂に達する。この急斜面には20mおきに1ないし2基の塹壕が確認できる。急斜面部においては金属探知機を利用した発掘調査にて18点の銃弾が出土した。この多くは戊辰戦争当時の地表面直上にて確認できたもので、銃器による発射方向がわかる出土状況と考える。
4. 吉ヶ沢陣地の調査
緩めの斜面部と200㎡程度の平坦部から構成される。山の中腹から続く急斜面にある70cm幅の細道は時折桝形状に蛇行し平坦部へ取り付く。平坦部においては、最大長5m溝を連結した10m長の塹壕が確認できる。この塹壕はトレンチ調査にて盛土頂点から溝底まで約1.0mの深さを測り、良好な保存状態が確認できた。さらに胸壁の積み方が復元できる当時の陣地構築を考察する上で重要な調査例となった。この他、蛸壺状の塹壕や、中世山城の土塁を改良した塹壕等の遺構が認められる。
5. 発掘調査等による出土遺物の概要
太平キ陣地:銃弾(エンフィールド)28点、雷管2点、甲冑片(中世の具足か)1点、 製材用具5点、和釘1点 吉ヶ沢陣地:銃弾(エンフィールド)7点、 倉下陣地:銃弾(エンフィールド)1点、銃弾(ミニエー)2点 鬼倉陣地:銃弾(エンフィールド)3点、雷管1点、薬莢(スペンサー)1点 榎峠陣地:銃弾(エンフィールド)30点、銃弾(ゲベール)1点、≪集落にて所有≫
6. 今後の展望
近年の調査により朝日山周辺ではこれまで知られていた、山頂部の遺構だけでなく、山中全域において複数箇所におよぶ戊辰戦争戦跡が確認できた。管見ながら国内における戊辰戦争関連史跡の中でも保存状態が大変良好な事例であり、文献等と突合することで、当時の戦地のありかたについて復元が可能となる、我が国における学術的に重要な遺跡と判断する。今後、この戦跡を「朝日山戊辰戦争遺跡群」として捉え、保存目的の調査を実施する必要がある。このために、今後埋蔵文化財包蔵地として塹壕等遺構や銃弾等遺物の分布状況を詳細に把握する調査を実施する予定である。調査にあたり考古学だけでなく、軍事史学や地政学等の有識者による調査団体を組織して計画的に行っていきたい。 また小千谷市内においては、「雪峠戊辰戦争遺跡群」も良好な保存状態であることが確認できており、いずれの事例においても、組織的・継続的な調査が必要となる。