【みんなの手で、未来づくり大作戦】2024-常設展示-薭生城の守り人
みんなのてで みらいづくりだいさくせん 2024 じょうせつてんじ ひうじょうのもりびと小千谷の文化財を受け継ぎ未来につなげる人たちの、手と声を、聞き取り調査をもとに紹介します。
薭生城の守り人
2024‐常設展示⑬ 城山(じょうやま)は絶対忘れられない、ベースにあるもの 杵淵 晶司(昭和23年生まれ) 《画像は近日公開予定です お楽しみに!》
①あなたは文化財に関するどんな活動をしていますか
城山(薭生城)の草刈や遊歩道の整備
②いつからその活動をしていますか?
子どもの頃は、遊びで先輩方と一緒に登っていた。当時は遊ぶ場所がないから、神社か、城山に登ろうかとなる。冬になると、城山のてっぺんまでいかないけど、途中まで行ってスキーをした。昔は小さい木を燃料にするのに刈っていたので、スキーをするのによかった。まだまだ市の文化財(1972年に指定)でもなく、それほど親しんではいなかった。 昭和60年代くらいから、子どもたちの育成会の会長をしたり、役員をしたりしていた。当時は育成会が中心になって、城山の草刈などをやっていた。その前は青年団がやっていて、次は育成会、だんだん育成会のメンバーが少なくなって、町内でやろうとなった。一部の団体がやっていたのが、町内全体でやるようになったというのは、とてもいいことだった。
町内会長になって10年になるけど、一昨年の6月初め、白井さん(学芸員)をよんで城山の話をしてもらった。初めてのことだったけど、学芸員から話をしてもらうのはいい機会だと実施した。子どもたちも一緒に草刈をして、1時間かからないくらいだけど一緒に登って話をきいた。 青年団、育成会、町内と(整備をする団体が)変わった歴史はあるけど、育成会がやっていたあたりから、子どもたちも一緒に参加して文化財を大切にしていこうという意識になっている 城山に上る途中、カーブのところで朝日山が見えるんだけど、戊辰のとき、あそこから狙ったんだなとか、そういうのもわかってくると活動も面白くなる。
③その活動で大切にしていることは何ですか
二つ持っています。一つは、少子化とは言うけど、今の活動を次につなげていくこと。自分たちのふるさとだよ、こんなにいいものがあるんだよと、つなげていきたい。 二つ目は、以前の城山は見晴らしがよくなかった。木がぶわーっとあったから、地権者の了解も得て、お金も工面して、3年かけてプロから伐採してもらった。おかげで山本山側はよくなったけど、本町側はまだ。木もすぐ伸びるから大変だけど、ただ山城があるだけじゃなくて、全体の見晴らしをよくして、当時の人の思いにつなげていけたらいいなと思っている。
もともと山は好きだった。大学が山梨で、バイトで富士山の強力(ごうりき)をしていたので、4年間で頂上に100回くらいは行った。夏休みの期間中は、2か月くらい山に行きっぱなし。金もいいし(笑) 城山は、富士山とは全然違って、山に愛着を持ちながら、健康志向で登るという感じ。4月の中頃、まだ整備してないとき下見に登って帰ってきたとき、地元の80歳近いおばあさんが2人登ってきたりする。時水のように、冬でも登る人がいるともっといいんだけど、時水より傾斜がある。特に本丸に近いとこは、鎖をつかまんと登れない。
④その活動でもっと取り組みたいこと、してみたいことは何ですか
10数年前になるけど、国道のすぐわきに遊歩道のすごくいい看板ができた。看板自信が古くなって文字が読めない。極楽寺に登り口があるんだけど、場所がわかりにくくて、どこにいけばいいかわからない。だから、まず、案内看板を新しくしたい。 もう一つ。急な斜面があって、金をかけて一生懸命にきれいな階段を作ったんだけど、埋まってしまったから登りやすい階段を整備していきたい。ただ、費用や労力ということを考えるとできないなと。 文化財の報告書を毎年1回出すので、階段と案内板のことは書いている。
⑤小千谷の好きなもの、ことは何ですか
1番は小千谷の人間。人情味あるし、みんなでやろうと言うと「よーし」とまとまるし、地元を大事にする。 2番は食。そば、コメが美味しい。お酒も美味しい。 自然があるし、四季がはっきりしているのもいい。
⑥未来の小千谷の人たちに伝えたいこと、のこしたいことは何ですか
びっくりしたのは消滅可能性自治体だといわれたとき。少子化とか大変だけど、今の人たちは何とかしてつなげてこうという意識がある。それがあれば消滅しない。 今あるものを次に受け継ぐ時には、ここを変えた方がいいなという時代の要請をよんで、新たに変えたり加えたりしていってほしい。城山は絶対忘れられないベースにあるもの。そういうのは大事にして、変えるべきものは変えながら残していってほしい。 (2024年9月)