お金持ちなのに、ずいぶん質素な茶椀?!『佐藤佐平治』【2024-常設展示】
おかねもちなのに ずいぶんしっそなちゃわん さとうさへいじ 2024 じょうせつてんじ佐藤佐平治って だれ?
答え:小千谷を代表する偉人です! 佐藤佐平治は、片貝において江戸時代~昭和時代にかけて代々酒造などを営んだ名家の当主です。著名な製品として薬酒である【粟守酒】があげられます。 「佐平治」は代々の当主が名乗った名跡であり、いずれの当主も飢饉に際し、食料を分け与えた善行で知られています。それは周辺地域に留まらず、秋山郷をはじめ遠方まで伝わり救済を行っていました。 江戸時代、幕府の出雲崎(三島郡出雲崎町)代官所は佐平治に銀10枚の褒美をあたえ、1代限りの帯刀と末代までの苗字を許しました。佐藤と名乗った佐平治は少しもおごるところがなく、いつに変わらず質素に暮らして非常用の粟や稗、味噌・昆布・干し大根などを蓄えました。 彼を慕って集まった村人には炉端で「忍」の一字を書いて堪忍の心を説いたため、人々に忍字翁と呼ばれて尊敬されました。
佐藤佐平治の行ったこと
飢饉に備え、多くの住民を救済! 江戸時代、越後では凶作と飢饉が続いて、多くの人々が苦しみました。このような中、長年にわたって救済活動にあたったのが佐藤家です。特に19代と21代が行った大規模な救援活動は有名です。 佐藤家は最初の救援を、1668年(寛文8)に行っています。その後も救援活動を続けてきましたが、地主と酒造業で蓄えた財力を、本格的に難民救済にあてたのは天明の大飢饉(1783~87)、第19代佐平治の時です。多くの人が飢えに苦しみ、難民となって佐藤家を頼り10里の遠くからでも杖にすがり、手をひかれて片貝村にやって来ました。佐藤家は酒造用の大きな釜で、蓄えてきた雑穀(粟や稗)で、粥や雑炊(味噌と昆布入り)を作り施しました。 最初は1日200人が次第に増加しついには1,700人にもなりました。病人には古着や紙衣(紙製の雨具)なども与えました。人手不足のため袖乞(ものもらい)で来た人までが手伝い、みんなで救済を行ったと伝えられます。
佐藤佐平治の「忍」の魂
佐藤家の食器類は、実は二極化している傾向が強く認められます。ここに展示した資料は日常生活の中で家族が用いた日用食器です。歴史的にも知られるとおり、極めて質素な食器類が多い印象です。例えば名品と同じ産地の伊万里焼に着目すると「歪みの大きなもの」「釉薬の失敗作」が認められます。 漆器に着目すると産地も判然としない質素なもので、さらに佐藤佐平治らしい特徴として、壊れても丁寧に直して使っている様子です。これは陶磁器にも同様のことが言え、質素な日用品でありながらも大切に使い続けています。 この特徴を観察し是非、佐藤佐平治からの「忍」のメッセージを感じてください。