【みんなの手で、未来づくり大作戦】2024-常設展示-小栗山観音堂の管理人
みんなのてで みらいづくりだいさくせん 2024 じょうせつてんじ おぐりやまかんのんどうのかんりにん小千谷の文化財を受け継ぎ未来につなげる人たちの、手と声を、聞き取り調査をもとに紹介します。
小栗山観音堂の管理人
2024‐常設展示⑮ なごみというか、みんなの仏様 男性(昭和24年生まれ) 《画像は近日公開予定です お楽しみに!》
①あなたは文化財に関するどんな活動をしていますか
小栗山観音堂の管理人
②いつからその活動をしていますか
前の管理人が亡くなる前なので、6年くらい前。 もともと2人管理人がいたんだけど、一人は病気で動けなくなり、一人は年齢が90を過ぎて難しくなった。誰かガイド的なものをということで探していた時、町内会長をしていて、じゃあ町内会長が責任を取れということになった。ずっと仕事でここには住んでなかった。高校の時に卒業してすぐ出て、仕事が終わって、43年ぶりに戻ってきた。 今は一人で管理人をやっている。見せてくれといえば、落ち葉はいて時間かけてやっている。観光会社がツアーで、多ければ20人とか30人きたりする。ない月もあるけど、月に2回から4回くらいくるときもある。一緒に牛の説明もするときもあるから、1時間くらいかかる。個人で見せてくれというのもいっぱいある。(牛の)角付きの手伝いもしているから、こっちに取られるとメンバーも大変なんだけど。角突きの前に見せてくれとか、終わった後に見せてくれという人もいる。 このお堂の由来は、807年に今の角付き場から山古志にかけてすごい集落があったんだけど、地すべりで全滅した。ここに逃れて新しい集落を作って、地頭が自分の観音堂として作って亡くなった人の供養として建てたのが始まりと言われている。今のお堂は、片貝の池津の真福寺さんが、お寺のほかに観音堂を持っていた。新しくしたとき、お古の材料がとってあって、こちらにもってきて作った。仏様はできて221年、お堂は250年くらいで、その時点で材料は100年くらいたっていたんだとか。 ただ、ここは観音堂だけど、宗教色がない。木喰そのものが無学無蒙で(仏門に)入ったんだけど、あまりそういうものにこだわっていない。昔、お堂は子どもたちの遊び場で、雨の日はここに集まって、男の子は相撲取って仏様をぶん投げたり、女の子はお手玉したり仏様おんぶしたり。夏休みの宿題もここに集まってしていた。境内の掃除は子どもたちの仕事、ラジオ体操もここだった。まんま食って9時くらいから宿題して。梁に登って飛んでおりて足の骨を折ったのもいて、「観音様のお導きで足の骨だけで済んだ」とか言ったりもしていた。昭和34、5年に学校の校舎を新しくした。建てる間、別れて勉強して、ここ(小栗山観音堂)が5、6年の教室だった。
③その活動で大切にしていることは何ですか
大切っていうか、ずっと昔から言えばここはなごみの場所。毎月17日は観音堂の日で、掃除して、お花上げたりご詠歌あげたりしている。今はもうご老体になってできない人も多いけど、現状維持。 これから後継をどうするか、俺みたいな極楽蜻蛉じゃなければやれないとなると、後継を作るのが難しい。若いのは仕事があるし、(牛の)角突きに行っちゃう。そこらへんが問題ではある。地域で支えてきたけど、この地域外からも支えてもらわないとダメなんじゃないかと思っている。
④その活動でもっと取り組みたいこと、してみたいことは何ですか
お堂をどういう形で維持修繕していくか。少なくとももう少し稼がんとだなと。お堂の土壁も地震の時に崩れて、直すのにお金がかかる。木喰さんは文化財だけど建物は文化財じゃない、見に来た人からのお金やお賽銭とかで維持費を出している。 資金集めの発信すればというのもあるけど、地域のものにならんくなるんじゃないかと。なんだかんだと考えてはいるけど、地域の人の中には他に出すなとかという人もいる。今の若い連中がどう考えるか。思いはなくならんと思うけど、もう少しするとこいつ(仏様)と遊んだことがない人たちだけになる。遊んだことがあるのは、せいぜい自分たちの6歳下くらいまで。 文化財も国の選定委員をやっている人が来ることや、全国の木喰研究会が来ることもある。 その人たちは、もっと仏様を離したりガラスケースに入れろとか、フラッシュをたくなという。大事なものではあるけど、こちらにしてみると、なごみというか、みんなの仏様だというのできている。俺たち子どもの頃は木喰さんは平らなところにずらーっと並んでいた。(木喰を展示する)階段ができたのは文化財の指定を受けてからで、鉄の格子になったのは地震のあと。その前は木製の格子戸だった。観光資源として出すのもいかがなものかなとか。その兼ね合いで悩んでいる。 木喰は、子どもたちが仏様を浮き輪代わりにして泳いだ時、子どもに遊んでもらっていると言ったという。木喰はもそういう形で言っているし。
⑤小千谷の好きなもの、ことは何ですか
金倉山。展望台が歩いて10分くらいで上がれるんだけど、これから空気がきれいな季節になると、佐渡島だとか、夕日が沈んできらきらするのがみれる。長岡花火も見れる。山本山ばかりじゃないんだよと。
⑥未来の小千谷の人たちに伝えたいこと、のこしたいことは何ですか
「小千谷」という名前にこだわってもらいたい。 あと、文化圏でいうと、もともとこっちは二十村郷。錦鯉も角突きも、発祥の地は長岡だ、いや小千谷だとか言っているけど、ああいうのはやだなと。「二十村郷」で何かできないかと考えている。 (2024年9月)