【みんなの手で、未来づくり大作戦】2025-夏季企画展③
みんなのてで みらいづくりだいさくせん 2025 かききかくてん 3小千谷の文化財を受け継ぎ未来につなげる人たちの、手と声を、聞き取り調査をもとに紹介します。
昭和から学ぶおぢやんしょ
2025-夏季企画展③ 昭和57年生まれ(若栃) -昭和は正解がある時代。今は正解がない中で、自分の正解はなんだろうって考えなきゃいけない-
①小学校に行くとき何を着ていましたか?
夏は人気キャラクターのTシャツ、下は半ズボンで赤とか青とかの派手な色。冬はトレーナーに長ズボン、外に出る時はアノラック上下と長靴。
②小学生の頃、普段家で食べていた晩御飯はなんですか?
ごはんにみそ汁と、ばあちゃんが作る野菜の煮物とかに、ハンバーグとかから揚げとかのスーパーのお惣菜。農家だったからばあちゃんの野菜料理と、母親は共働きで帰りが遅かったからAコープとかのスーパーでお惣菜を買ってきて、それが混在していた。 好きなものはドロドロ系。カレーとかシチューとかドロドロしたものが好きだった。母はその時に流行っているメニュー、味が洋風だったり濃い味のものを買ってきたり作ってくれるから、ばあちゃんの料理より好きだった。休日になると、ミートソースにチーズをバーッとかけて焼いたナスのグラタンを作ってくれて、それがうまかった。
③小学校の給食で好きだったメニュー、覚えているメニューはなんですか?
小学校の給食は家庭の延長のような感じだったのか、あまり印象に残っていない。 中学校にあがったときに、初めてソフト麺を食べた。うまいというより、これが噂のソフト麺かという印象。
④小学生の頃、家に帰ってからどこで遊びましたか?何時まで遊びましたか?
友達と村を駆け回っていた。田んぼの道にも出るけど、村ン中で遊べるとこを探して、カブトムシを捕まえたりとか。ポプラの木を蹴ると、カブトムシやクワガタとかが落ちてくるから、それを捕まえて家に持って帰って飼った。カブトムシやクワガタのドロドロした茶色い餌を、アイリ―タウンで買ってきてあげた。 暗くなるまで遊んで、遅くなると心配されたけど、ごはんまでには帰る感じ。
⑤小学生の頃、家では何で遊びましたか?
ファミコンとかゲームボーイ。ゲーム機本体やソフトを買ってもらうために、スキーのリレーや陸上を頑張った。FF6とか買ってもらって、くにおくんは友達の家でやった。友達の家で持っているものは買わないで、ダブらないようにする。このゲームはうちで遊ぶ、このゲームは友達の家、というようにみんなで共有する。
⑥昭和はあなたにとってどんな時代ですか?
子どもだったから悩みはなかった。前向きで前しか見てなかった。今は、子どもでも多方面を見なきゃいけない。価値観が多様ではなかったので、ものの見方がはっきりしていて、それはそれで幸せだったかな。昭和は正解がある時代。今は正解がない中で、自分の正解はなんだろうって考えなきゃいけない。大人になったというのもあるけど、いろいろ考えなきゃいけない。
⑦あなたにとって戦争のイメージを教えてください。
戦争は経験してないけど、『火垂るの墓』が強烈だった。ただ、子どもの頃はそれを見ても、怖いんだけど言語化できなかった。今は、登場人物と自分の子が同じ年で、そうなったらと思うと無理、本当に無理。 ばあちゃんは戦争を経験しているけど、全く語らないし、子どもの頃には戦争はしちゃいけないという価値観が確立していた。世界に興味があったので、戦争ということについても学んだけど、当事者として日本がやってきたということは実感できないし、今起きている戦争は直接関係ないから、身の回りとして考えられない。ただ、人の生き死にが簡単になってきているとは思う。 自分がどう行動すれば、戦争が遠いものであり続けられるのかというのを考える。戦争になると幸せの価値観が通用しないことになるし、子どもがそういう環境におかれるのは辛いから、そうならないといいなと。
(2025年7月) このページは小千谷市郷土資料館が作成しました。 掲載コンテンツの二次利用条件などはこちらのページをご覧ください。