岩沢と真人を夢とつなぐ【小千谷アルバム】
いわさわとまっとをゆめとつなぐ おぢやあるばむ魚沼橋:【昭和41年】
橋は単に渡るためだけの施設ではない。人が渡ることで物が動き、行事や産業などが動き交じり合うきっかけとなる。それが新たな文化を生みだし、今私たちが知っている小千谷となる。 岩沢と真人も、今では当たり前に行き来ができるまちだが、江戸時代以前は渡し舟に頼らなければ往来ができなかった。川底が深く、流れが急な地域であるため、便数もそれほど多くはなかったようである。こうなれば対岸に渡る方法は、下条の渡しもしくは川井の渡しを用いるしかない。こうしてお互い常に見える位置でありながら、まったく接することのない両者となるのである。 思えば、農・工業を主体とする真人、商業を主体とする岩沢、両者まったく異なる集落形成が認められるのは、このように文化が交流しなかったことの具現化なのかもしれない。その近くて遠い異文化が、まさに交じり合い、新たな価値が生まれることを期待する、そんな人々の夢と希望を込めた渡り初めの催事をとらえた一枚である。
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