朝日山古戦場発掘調査_調査結果【2025年11月】
あさひやまこせんじょうはっくつちょうさ ちょうさけっか 2025ねん11がつ【文 : 小千谷市学芸員 白井 雅明】
日時
2025年11月8日(土) 10:00-15:00 2025年11月15日(土) 10:00-15:00
内容
朝日山古戦場吉ヶ沢第一陣地南斜面〜第ニ陣地北半部における発掘調査
作業概要
樹木伐採、金属探知機による発掘調査
参加者
8日・・・小学生〜70代 15日・・・小学生・中学生・高校生〜70代
遺構
吉ヶ沢第一陣地南斜面の中間部に胸壁状の削平面を一基確認。 第ニ陣地北半部の西端に、戦国時代の土塁を一条確認→小道と組み合わせて桝形状に仕上げている形が推定できる。
遺物
●砲弾片、四斤砲弾2点 銃弾、エンフィールド銃プラグ弾2点、プリチェット弾6点・ウェストリー・リチャーズ騎兵銃弾1点(発掘調査では新発見)・拳銃弾一点(朝日山では新発見) ●ボタン:1点 表の模様は船に乗る2人の人物、裏には「RICH TREBLE GILT」の文字と蜂のような虫のようなデザイン、「T.W&W」社製の可能性。 武器だけでなく洋服(軍服)も一緒に日本に輸入され、それが朝日山の戦いの際にも着用されていたのでは?と推測できる。 幕末・維新期の日本における西洋文化の流入を示す貴重な資料となった。 ●留め具:1点 らくだをモチーフにした、カバン等の留め具と見られる。イギリス製の可能性(今後ボタンと同じような調査を行う必要がある) ●硬貨:1点 昭和36年製の五円玉である。当該地において畑作を行っていた記録があり、付近の銃弾の原位置が不安定であることを示す貴重な歴史資料である。皆様にも良い御縁がありますように。
当初の目的
会津藩が陣して防衛したと考える吉ヶ沢第一陣地から、坂下方向へ発射された銃弾を探す。 これまでの調査により、吉ヶ沢第一陣地では、出土する銃弾の方位において北向きであることが確認されている。これは5月13日の戦闘に際して、第二陣地方向から薩摩藩により発射されたものと推定される。 一方で今回調査においては、第一陣地方向から坂下へ発射された銃弾を探すこととなる。予察として銃弾の方向は南向きのものが主体となることが考えられる。
調査の結果
これまで出土したほとんどの銃弾はエンフィールド銃によるものであった。一方今回調査にてウェストリー・リチャーズ騎兵銃や拳銃など比較的近距離を対象とした銃弾が認められた。このため、榎峠のような谷を挟んだ遠距離戦闘と、朝日山戦のような山岳の制圧において、使用する武器の性質を分けていたことが考察できるようになった。 四斤砲片が出土したことも特筆できる。2点であるが、全体の10%に満たないため、今後当資料と同一の砲弾片が20点程度付近にて出土することが期待できる。 また軍服や装備に関わる金属片の出土も初例となった。所産の調査や、出土地点の精査等により、なぜそこから出土したのか、どちらの軍によるものか、整理していく必要がある。
今後期待できること
吉ヶ沢陣地において、銃弾の形態的特徴を観察することで、【会津藩と薩摩藩の武力の差】を比較することが可能となる。 これは令和七年度初旬に行った榎峠南崖面における発掘調査成果である、【長岡藩・長州藩の武力の差】と比較検討できる好例となることが期待できるものである。 さらに吉ヶ沢第二陣地を調査することで、今回調査で出土したエンフィールド銃以外の銃弾の種類を安定的に確認することができれば、谷そして山という両者の戦闘方法や武器の準備の違いを鮮明にできると考える。以上を次年度以降の調査における目的および予察としたい。