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市民学芸員体験講座_第35回 【旧三国街道_榎峠_地形踏査】調査成果

しみんがくげいいんたいけんこうざだいさんじゅうごかいきゅうみくにかいどうえのきとうげちけいとうさちょうさけっか

「学芸員の仕事は、実に様々。資料の収集、保管、展示をして、さらに講演まで!」 「そんな学芸員の仕事を気軽に体験し、小千谷のまだ見ぬ魅力を一緒に発見しましょう!」 と、そんなことで始まった【市民学芸員体験講座】も3年目に突入。 活動報告や参加者の感想などをご紹介します。

市民学芸員
Published on May 11th, 2026(Updated on June 6th, 2026)

文:小千谷市学芸員 白井雅明

◆市民学芸員体験講座 第35回

内容
【遺跡調査演習】旧三国街道~殿様でさえ籠を降ろされる難所を探る~
日時
2026年4月25日(土)10時~15時
参加人数
21人

◆調査内容

旧三国街道の九十九折部分、二ヶ所の雑木・雑草を除去し、現地形を表出させ、街道跡および戊辰戦争の塹壕を平面図記録する。

◆目的

東日本の歴史において、重要である三国街道の道状遺構の残存状況を確認する。また戊辰戦争において長岡藩が陣して防衛したと考える三国街道榎峠部分を踏査し遺構・遺物の分布状態を確認する。

◆意義

三国街道は越後国〜上野国・江戸へ通じる、中世〜近代まで機能した主要街道である。その遺構は湯沢の山岳部を除けば消滅していることがこれまでの調査により明らかとなっている。 一方、昨年の小千谷市・浦柄町民との調査によって、榎峠南側に街道遺構と考える幅3mの道状と考える削平面を確認した。ただし雑木類の蓄積により、その詳細を観察できていない現状である。この街道遺構は中世〜近代の日本における貴重かつ僅少な類例であることか ら平面図等記録、周知化は大きな意義を持つと考える。

◆期待

街道遺構の良好な残存状態が確認でき、各種絵図・『伊能図』との照合により、遺跡・絵図・文献類による総合的な調査が可能となる。 戊辰戦争における長岡藩による防衛手法の在り方を具体的な遺構等により調査か可能となる。

◆調査結果

【調査概要】 4月25日、小千谷市浦柄地内の白岩にて史跡整備および遺構検出を目的とした調査を実施した。調査者は計21名で、10~70代の幅広い年代構成であった。現地は原野の斜面地であり、雑木特に槐(エンジュ)の木の繁茂する様子から、少なくとも30年以上にわたり人の手が加わっていないことが確認できる。 調査は、およそ3種別を行った。

1.遺構検出

従前より目視で確認できる旧街道の遺構と考える掘割状かつ屈曲部の地形、約200㎡の範囲を対象とした。電動チェーンソー、エンジン刈払機、ノコギリ、草刈鎌、熊手を用い、雑木および雑草の除去を行った。また遺構を壊さないよう土壌の変化等を適宜観察し、丁寧に倒木・落葉・腐葉土まで除去した。伐採した樹種は、槐・椿・杉・竹の小径木である。 この結果、延長約30m道状の遺構として確認することができた。平面形は九十九折形で屈折角が45度である。断面形は、法肩幅約4m、法尻幅約3m、法面斜度が約70度で、およそ箱状を呈している。道部分の平均勾配は20%・斜角10度を超え、いわゆる急坂と称される道である。 道状遺構の両端は、2004年10月発生の中越地震により大きく崩落しており、それぞれの延長や形状は判然としない。

【雑木および雑草の除去の様子】

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【雑木および雑草の除去の様子】

2.発掘調査

金属探知機を用い、戊辰戦争当時における火器弾類の分布状況を確認した。結果、エンフィールド銃弾5点、四斤砲弾片1点が出土した。エンフィールド銃弾の多くは、戊辰戦争当時の地面にささるような出土状況が確認できた。このうち1点は、白岩層中に深く沈みこむ形の出土状況であった。銃弾頭部は北~北東を向く方位が多い印象である。 また現代の所産と考える釘・螺子・鉄筋等の金属製品が多く認められ、戊辰戦争当時の遺物の確認に対し、非常に大きな妨げとなった。

【白岩層中に深く沈みこむ銃弾】

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【白岩層中に深く沈みこむ銃弾】

3.記録保存

複数方向・画角からの写真撮影、旧三国街道からの遠望写真撮影を行った。あわせてScaniverseを搭載したiPad Proを用い、三次元測量を行った。また三次元測量データから平面形・断面形等、各種計測値を抽出した。データの保存は、小千谷市郷土資料館に所在する調査データ蓄積用HDDにて行った。データ名のRenameは、原則的に「2026_510-3_被写体個別情報」で行った。

【旧三国街道_三次元測量による図】

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【旧三国街道_三次元測量による図】

【考察】

1.道状遺構について

検出した遺構の平面図を、近世に作成された絵図等と比較を行う。 1821(文政四年)年_高橋景保調製_『大日本沿海輿地全図』(伊能図)においては、黒鉄(金)坂と称される九十九折部分と調査地点が重なることが確認できる。 1868(慶應四年)年_瀬沼竹亭画_「戊辰役図」(慈眼寺所蔵)においては、蛇行を繰り返し、イノキ(榎)峠へ至る急斜度の登り坂と調査地点が重なることが確認できる。 以上のことから調査地点において検出した道状遺構が、旧三国街道の道を地表面に留める遺跡であると考える。

【瀬沼竹亭画_「戊辰役図」(慈眼寺所蔵)】

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【瀬沼竹亭画_「戊辰役図」(慈眼寺所蔵)】

2.出土銃弾について

エンフィールド銃弾5点は、銃弾頭部が北~北東を向いており、この進入角度から、南方向すなわち西ノ平陣地より発射されたものと考える。西ノ平陣地は戊辰戦争当時において主に長州藩が陣していたことが絵図や『復古外記_稿本_北陸道戦記_第七』の記録から確認できる。このため長州藩の火器類を類推する上で重要な出土状況を示すものと考える。 出土状況のうち1点は、白岩層中に深く沈みこむ形の出土状況が認められる。令和4年度から続く戊辰戦争遺跡の発掘調査において、約200点の銃弾が認められる。ローム層中に深く沈む出土状況が多く認められる。本例はその中でも最も硬質素材から出土したものである。 西南戦争遺跡である田原坂等においては、硬質の樹木や木造建物の柱に沈む事例が確認できる。また上野戦争遺跡である江戸寛永寺においては、凝灰岩の石垣に弾痕を留める事例が確認できる。こういった弾痕の中で、最も硬質素材から出土した事例である。 また出土状況の土壌の形状に着目すると、ほぼ直進的に銃弾が推進したことが認められる。このことからライフリングの伴う銃火器が、300mの離れた場所から推進力を維持したまま岩盤を貫く破壊力を有することが確認できる。このことから、朝日山の戦いにおいて使用された銃火器の威力を考察するに十分すぎる出土状況と考える。

3.旧三国街道について

旧三国街道の道状遺構としての残存は極めて良好である。これは急峻で崩壊しやすい地形であることから、現在の道路や山林開発の影響を避けることができたことが要因と考える。旧三国街道の遺構の多くは、市街地化や道路法線の重複・拡幅、水田開発によって大きく失われていることが多く、例外的に湯沢町三国峠の一部に遺構を留めるにすぎない。このように道状遺構の地表面における残存事例の少ない状況において本例は極めて重要な検出例となった。 旧三国街道_黒鉄坂跡の歴史的意義について、重要な点は近世における佐渡金銀山開発である。現行研究において、産出された金銀の多くは北国街道を経由し運ばれたとされる。また、北国街道の道路普請や自然災害の影響により、一時期においては三国街道を経由したとされる。 一方で三国街道において、最も重要なことが、『佐渡金銀山経営の奉行・代官等の管理者そして作業人夫等の労働力』の主要経路であることは注目できる。この「人」の道がなければ世界に誇る金銀の採掘は実現できないものである。そういった歴史的な背景も本例の重要性を支持するものである。

【「旧三国街道_黒鉄坂跡」の 推定法線と地形図】

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【「旧三国街道_黒鉄坂跡」の 推定法線と地形図】

【展望】

今回調査で確認できた遺跡は、日本全国においても希少であり重要な、近世街道の検出例であり、さらに絵図等により突合できる極めて貴重な調査例となる。さらに銃弾の出土状況も「岩盤層にまでささる」という、当時の戦況の激しさと火器の威力を物語る戊辰戦争における物的証拠となる類例となる。 旧三国街道の残存状態は極めて良好であり、中~近世の道路普請と交通を考察する上で重要な検出例となった。三国街道は佐渡金銀山の採掘に必要となる、指導者や労働者が通行したことでも知られ、近世~近代における産業史においても重要な遺跡となる。 今後、地権者や浦柄史蹟保存会、小千谷市文化財保護審議会等と相談・協議を行い、当該地を小千谷市指定文化財_史跡「旧三国街道_黒鉄坂跡」として保存する必要がある。また付近の戊辰戦争遺跡と同様に、埋蔵文化財包蔵地として周知化する必要がある。また、活用事例として、佐渡市等が実施する「世界遺産_佐渡島の金山」に関する事業と連携・協働することを検討していきたい。 「世界遺産_佐渡島の金山」は世界に誇る日本を代表する遺跡・遺産となった。一方で歴史的意味として、そこで採掘された金銀は何のために、そして何から出来ているのか。 それは【人】のためであり、一粒一粒の金銀に、三国街道を、ある人はまだ見ぬ財宝への希望に満ち、ある人は三国街道の曇天の虚空を見つめ、そんな一人一人の思いだとか汗だとか涙だとか血で出来ている。三国街道は、まさに金銀を産むために『人』の足跡と確かな『志』が残る、金銀にも劣ることのない輝かしい道なのである。 ある時代は、上杉謙信による行軍の道として。ある時代は、田中角栄による日本列島を改造する道として。

【小千谷方面を望む】

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【小千谷方面を望む】

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