宮沢賢治の樺太紀行
みやざわけんじのからふときこうIntroduction
『銀河鉄道の夜』のモデルになった大正12年の夏、樺太(サハリン)への旅。 宮沢賢治は、学校の教え子の就職を世話するために、当時は日本領だった樺太へひとりで渡り、そのまま南樺太鉄道に乗って当時日本最北端の駅だった栄浜(ストロドゥプスコエ)へ行きました。 その心象風景は『春と修羅』に旅の直前に亡くなった妹トシへの鎮魂歌として書かれています。 私はこの旅路をなぞってサハリンへ行ったことがあります。 現在は州都のユジノサハリンスクからドリンスクまで都市間バスで行き、ローカルバスに乗り継ぐと栄浜の停留所に着きます。ここは鄙びた海辺の村で、ロシア人が休日を過ごすダーチャ(菜園つき別荘)の集落です。日本時代の面影は、野原に栄浜駅のプラットフォームの破片と枕木の残骸がわずかに残るばかり。 栄浜には『銀河鉄道の夜』の「白鳥の停留所」のモデルとなった湖がありますが、少し遠いので行っていません。 砂浜には琥珀の粒が落ちています。現地のおばちゃんと、言葉が通じないままいっしょに拾った瓶詰めが、いまも部屋にあります。
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