学びのサロン 西脇順三郎_20251013
まなびのさろんにしわきじゅんざぶろうにせんにじゅうごねんじゅうがつじゅうさんにちこの散文詩は句読点が明らかに少ない。何の話をしていたのか、何の話をしているのか、わからない。わからないけれども、不思議な重力と美しさを持っている。 「わからない」の楽しみ、「わからない」の豊かさ。 今回は、西脇順三郎の「トリトンの噴水」を読んでみました。 西脇順三郎を偲ぶ会が開催する「学びのサロン西脇順三郎」は、西脇順三郎の詩に対してさまざまな切り口から理解を深める講座です。 今年は「私の一押し西脇詩」がテーマとなっており、講師の方が一篇の詩を自身の想いとともに解説する講座を行います。講座は前半・後半の二部構成で前半は聴講、後半が聴講者も参加できるトークセッションの時間になっています。 今年は7月5日、10月13日、11月3日の3回開講される予定で、「私の一押し西脇詩」をナビゲートしてくれる講師の方は毎回変わります。 申込は不要、どなたもお気軽にお越しください。 以下、第2回目となる10月13日の回のハイライトをお届けします。 詳細は2026年発行予定の西脇順三郎を偲ぶ会会報「幻影」をご覧ください。 ■記録:町田
開催概要
演題:散文詩「トリトンの噴水」を読む――「分からない」は豊穣である、ということ 日時:2025年10月13日(祝・月) 場所:小千谷市民会館3階 第3中会議室 講師:酒井 実通男 さん 一押し西脇詩:「トリトンの噴水」
「トリトンの噴水」所収
1.はじめに――西脇順三郎を知ったきっかけ
「学生時代は理系の道に進んだので、文学とは離れていましたが、従兄弟に文学を学んでいる人がいて、その人を通してシュルレアリスムや西脇と出会い、それ以来かれこれ50年、彼のファンです」 酒井さんは、西脇の没後10年毎に東京や地元の画廊で、自身の所蔵する西脇順三郎の絵画や本の展示会を行っている。偲ぶ会の中村会長が、講演会のあいさつで「膨大な資料と順三郎に対する知識、文学に対する造形が深く驚いた」と、かつて展示会で出会った際のことを思い起こしながら、紹介している。
2.愛読詩としての「トリトンの噴水」:トリトンの噴水が私(講師)にとってなぜ面白いのか。
「トリトンの噴水」は昭和5年に天人社から出た『シュルレアリスム文学論』という本に掲載された。 71ページにも及ぶ長い散文詩で、また、特徴の一つとして句読点が極端に少なく、長い一文が続く箇所が随所にある。古代ギリシャ神話の神々やヨーロッパの言葉が散りばめられた文章が続く作品で、一読して意味がわかるものではない。難しい、意味がわからない、という声も少なくない。 意味がわからないから読まない、ではなく、理解不能でも面白く読める、それで良いのではないか =意味を追うことよりも、言葉の表現、その自由さ、響きを楽しむことができることに注目。 言葉の音に着目してみれば「声明」のようで、静かに読めば、異国の神話のようで、あるいは古事記に通じるものがある。藤原定家の漢文や源実朝の和歌集を連想させる時もあり「色とりどりの読み方ができる不思議でとても豊かな詩集ではないか。 この詩が書かれた時、西脇順三郎は30代。彼の脳内でパラダイムシフトが生起していたのではないかと思うほどの日本語表現の豊かさ、可能性が詰まっている。
3.「トリトンの噴水」を読んでみる。
参加者と共に、改めて「いかに理解不能の文章(句点のない長文)であるか!」をみる。 ・いかに豊穣なる意味の通じなさであるか! ・漢語、ひらがな、カタカナ、英語、ドイツ語が混交している! ・句読点も極端に少なく、何を言っているのか理解できない!けれども、美しい! ・言葉と言葉の連結が、新しい感覚、新たな言葉に出会うことで自分もまた変わるような感覚を連れてくる! ・そして、やっぱりいかに意味不明なコラージュ的散文であるか!車窓を流れる景色のように言葉の風景が連なって流れいくイメージ。 ⇒1行1行、洗練されているが、文意が不明な文章を奏でることは、相当な知的創作と言える。 なお、「トリトンの噴水」は三つに分かれる構造である。 冒頭の3行、長い長い長いその間の部分、最後の1行。 サピアンス夫人たちが出かけていき(冒頭3行)、帰ってくる(最後の1行)までに、つらつらと考えたこと(長い長い長い中間部分)という風に見ることができる。女性とかギリシャ神話とかミューズについて、つらつらと考えていたが、夫人たちが帰って来て、自分も現実に戻る。実際にミューズというのは普通の女性であった――大枠でとらえた時に、そういう見方もできるのでは。 絵画の世界では“ディペイズマン”と言って、ある場所で安定していたモノや言葉を異質な環境にシフトし、それらが本来、持っている目的・性格・性質等から引き離して他のもの同士の奇抜なありえないような出会いを創ることがある。 「トリトンの噴水」はそれまでの伝統的な詩法から遠く離れた、詩のディペイズマンではなかったか。
4.文学者や研究者ではない読書ということ
読書は誰かではなく自分の楽しみ、自分の人生をよりよくするためにこそ読む。本当に、励まされるようなことが多い。 「トリトンの噴水」は、意味はわからないがなんだかおもしろい。言葉の結びつきの自由があるということは、自分の頭の中、思考も自由であるというような、そんな勇気をもらった作品である。 文学者でも研究者でもない読者について、思いを代弁してくれているような作品を四つ紹介する。 ①堀口大學/著『ヴェルレエヌ詩抄』、第一書房、昭和2年、p275 “どうやら詩は感ぜらる可きものであって、理解さる可きものではない” ⇒自分の感受性を大事にしてよいのだということ。 ②堀田善衛∥著『定家名月記抄』、ちくま学芸文庫、p163 “和歌について、特に定家のそれについて、無関係の関係だと言い続けてきているので” ⇒関係性のない関係が自分のイメージを拡大させる ③ホイジンガ∥著、高橋英夫∥著『ホモ・ルーデンス』、中公文庫、p250、p269-270 “詩の即興性が重んじられること”“神話はどのような形でわれわれに伝えられたものであれ、つねに詩である……おそらく合理的なものの見方で決して語ることはできない……神話は理解など追いつくことのできない高みへ遊びながらの追っていくのだ、というべきかも知れない” ⇒神話を詩と置き換えてもいいかもしれない。 ④サン・テグジュペリ∥著、野崎歓∥訳『夜間飛行・人間の大地』、岩波文庫、p216-217 “隔たりとは距離で測れるものではない。フランスの一軒家の庭の塀が万里の長城より多くの秘密を閉じ込めていることだってある。そして一人の少女の魂は、サハラ砂漠のオアシスが分厚い砂で守られている以上に、沈黙によって固く守られている” ⇒なんかグッときました。 ⑤他に 西脇は「意識的に混沌とした世界をつくりあげたい」「教科書に出せないような文章が書きたい」と『禮記』の中で書いている。 西脇の文章を意味が通らず悪文であると感じる人もいるが、「悪文。良いではないか!」と思っている。この「トリトンの噴水」から、頭の中の自由性、自分の言葉で表現することの面白さを学んだからだ。 審美的な価値ではなく、暮らしの中での思考の自由に西脇詩の価値を感じている。
5.解釈しないこと、解釈できない読書ということもまた楽しいということ
解釈できないこと・ものは、世界にたくさんある。我々は合理的な世界にだけ生きているのではなく、感覚的な世界も持ち合わせて生きている。 「わかる」を超えた感覚的世界に遊ぶ豊かさを感受できる豊かさが、いっそう読書の世界を拡げてくれる。 「トリトンの噴水」は訳のわからない言葉の噴水である。 自分の持っている言葉の数が多いだけ、考えられる世界、生きていける世界が広がって豊かになる。西脇詩の言葉の噴水を浴びて、ホコリまみれの心身を新鮮にできる。豊かにできる、そう感じている。
6.終わりに
世界にはエニグマ(謎)が溢れている。このエニグマが無ければ、人類の未来はつまらないものだろう。「わからない、難しい」は豊かさと結びついている。 日常生活に「豊か」があるとすれば、それは「難解」であることを手放さないことではないか。そのようなことを「トリトンの噴水」が教えてくれているように思う。
■ここからはセッションタイムで出た感想や意見
参加者 「写真が好きで、それがきっかけで講師の酒井さんとは10年くらい前に会って、不思議な人だな、という印象だった。今日、その酒井さんが西脇詩の解説をするというので来てみた。わかるように解説するんだろうな、と思っていたら、ますますわからなくなりました(会場、笑い声)。けれど、わからないなりに楽しんだらいいんじゃないかな、と気が楽になりました。酒井さんとはこれからもお付き合いさせてもらおうと思っているのですが、西脇を理解する前に、酒井さんを理解する方が先かな。そんなことを思いました」 参加者 「ゲーテの『エッケルマンとの対話』の中で「一読してわからない。何度繰り返し読んでもわからない。そういう作品の中にこそ偉大な文学が実はひそんでいるんだ」という一節があるんだそうです。今日のお話を聞きながら、そのようなことを思い出しました。前に、酒井さんが講演を行った時、西脇順三郎の詩がわからないときに、作品の中から自分の気に入った言葉やフレーズをたどって、それを線に結んでみたらどうかと仰ったのを覚えています。西脇詩は星のように言葉が散りばめられている。読者は自分の星座を探しながら満点の星空を眺めるような気持ちで、西脇詩に接してはいかがでしょう、と仰っていました。それで、今日、最も難解なこの作品の読み方としても、そのように読むことはできるでしょうか? できるとして、どんな言葉、どんなフレーズがありましたか?」 講師 「自分のポラリスというのか、核のようなものが皆さんそれぞれあると思います。読んでいてグッとくる言葉はあると思います。それを大切にすればよいのでは、と思います。自分の好きな言葉、なんか良いなって思うような。たとえ自分ではよちよち歩きに感じていても、自分の足で歩いていたら、必ずそれに巡り会うと思いますよ」 参加者 「次回、サロンで登壇する者です。前回と今回のお話を聞いて、次回、ちょっとどうしようかなと考えております。今日も本当に勉強になりました。句読点が無くて読むのが大変で、難解な詩なのですが、自由な言葉の結びつきの面白さで新しい世界を見る楽しさを改めて確認しました」 参加者 「自分は市内の者ですが、西脇順三郎については初心者で、家に一冊ある詩集もなかなか読み切れず、苦行のようにしてなんとか読み通して、それでもわからなかったです。6月の講演会の先生もわからなくて良いっという話でしたし、わからなくても、車窓から流れる風景のようにというお話がありましたが、そのように見て良いのか、と思いました。初心者がこれから読んでみたらいいと思う作品はなんでしょうか?」 講師 「旅人かへらずですね。短い旋律が連なって、車窓を流れる風景のようですよ」 参加者 「今日、お持ちいただいた絵についてですが、西脇順三郎のお母さまを描いていると思いました。順三郎さんは母よりも乳母になついていたという逸話があるくらい、絵の女性のように、気の強さといいますか、誰にも左右されない、自分の息子にさえも隙を見せない、そのような方で、ちょうど、顔の輪郭や雰囲気に見えました。 前に酒井先生が読むのにピックアップしてくれた詩がとても素敵な詩で、一人の時に好きなように、酔いしれて読んでいます。今日また、意味もわからずに読んでいいのだと思い、また一人、読んでいこうかと思います。前のレジュメに一番好きな詩が載っていました。「何者かが投げた宝石が琴に当たって古の歌を醸しだした」でしたでしょうか。どんな歌だったのだろう、そのように楽しんで読んでいます」 参加者 「西脇順三郎を偲ぶ会役員です。長く役員をしていますが、詩の方はなかなか理解できませんで、なかなか苦労しています。今日はやはりわからなくていいのだと、わからないことは豊かなことなのだということを、まして改めてそうなのだなと思いました」 参加者 「隣市から来ました。今日はお話を聞いてわからないということの楽しさについて聞けました。もう少し若い頃に聴きたかったんですけれども。酒井さんとはそば会をするなどの付き合いがあります。講師をするというので興味を持って聞きに来ました。参考になる話をありがとうございました」 参加者 「酒井さんのお宅に初めて伺ったのは三年前ほどでしょうか。とても雰囲気のあるお宅で驚きました。その時に書棚に定家の名月記抄がありまして、それがすごく気になりまして、最近、再びおたずねして見せていただいて、今、読んでいるところです。私は趣味で仮名を書いておりまして、和歌をいろいろと観ているのですが、今日この詩を読んですごくむずかしい。むずかしいですけれど、色々な広がりといいますか、そういうものがよくわかってよかったと思います」 参加者 「西脇先生の本は部分的に読むとわかんないんですね。で、深く読むともっとよくわからなくなっちゃう。深く広く読むと、感じるのは、まず語学ですね。でも語学だけでなくイギリス文学やドイツ文学、ギリシャ神話、哲学までやっちゃうんですね。そこから出てくる言葉でもあって。わからないと思ってたんですよ。で、西脇先生は絵ですね、絵の影響がすごく強いように思いました。遠い所も近い所もあるように思うのです。でも、今日ここにきて、わからないならわからないままで良いのだと思えました。すごく楽しかったです。もう少し教えてほしいなと思いました」 参加者 「時々、学びのサロンに参加させていただいておりまして、同じ小千谷の自然に、年代は違えど接していた西脇先生のことをもっと知りたいなと思って参加させてもらっています。最初に西脇詩に接したのは校歌です。小千谷高校の校歌。もう何十回も歌いましたけれど、あの詩はぜんぜんわかりますけども、こちらの詩は本当にわかりません。今日は、ありがとうございました」 参加者 「前に詩の暗唱大会に出場した時に「その新しい梅雨を桜の酒杯に飲む」っていうのがすごくおしゃれで好きなんです。だから、そういうのを見つけるのもいいな、と思いました」 参加者 「どうしても理屈でとらえようとしてしまっていた。今日はわからなくていいや、という気持ちで「トリトンの噴水」を読んでみて、気になるフレーズ、かっこいいと思える言葉を見つけられた。素直な気もちで詩と向き合って、今日、少しかもしれないが詩の面白さにふれられたのかもしれないと思っている」 参加者 「西脇の詩はわからない、大変なんだと改めて感じた。解釈しないという話でしたが、わからないから解釈もできないのですが、自分なりの楽しみ方、受け止め方をしていきたいと感じました」 参加者 「市内のこどもたちに西脇の抒情詩4つ(天気、太陽、旅人、雨)のうちどれが一番好きか聞くと、こどもたちは「旅人」を選びます。地域のことを思いながら書かれた詩が、どこかで子どもたちの心に、なにか説明できないけれども、魅力をもっている。無意味の意味などのお話も聞き、今日、先生のお話を聞いて、改めて、自分でもじっくりと考えてみたいと思います」