大明神遺跡発掘調査記録 chapter1≪遺跡を掘るとは何か≫
だいみょうじんいせきはっくつきろく ちゃぷたー1 いせきをほるとはなにか大明神遺跡は、昭和30年頃から上片貝の人達によく知られた、とてもたくさんの土器や石器が出土する場所でした。ある時は地域の人々、ある時は農作業をしている農家さん達、ある時は上片貝小学校の生徒達によって様々な遺跡(道具などの「モノ」は遺物と呼びます。)が見つかりました。
特に多く出土する遺物が、縄文時代のもので、火炎土器などと同じ時期の道具がたくさん見つかります。
〈大明神遺跡のある場所を、国道117号から遠望しています〉
今回の発掘調査は、水田の区画整理事業に先立って行うものです。 どうして遺跡を発掘調査する必要があるかと言うと、水田の区画整理の工事で壊れてしまう可能性があるからです。
〈きれいに区画整理された水田(吉谷小学校周辺の様子〉
水田の区画整理は、土をどかしたり盛ったりすることで、きれいな水田に改める工事なのですが、このうち「土をどかす」際に遺跡を壊してしまいます。このため壊しても大丈夫なように遺跡を、発掘調査して、どのような建物の跡(遺構と呼びます)があって、どのような遺物が出て、どのような遺跡であったか、ということを『記録することで保存する』という手段をとります。これが日本中で行われる多くの発掘調査です。
過去に小千谷市では、元中子や山谷で大きな発掘調査を行っています。
遺跡をどのように発掘して、どのように記録して、どのように保存するか、みんなで確かめていきましょう!
〈大明神遺跡の位置と令和7年度に掘る場所〉
文:小千谷市学芸員 白井雅明