調査の結果、塹壕(胸壁)遺構を二基検出した【市民学芸員体験講座】第25回
ちょうさのけっか ざんごう きょうへき いこうをにきけんしゅつした しみんがくげいいんたいけんこうざ だい25かい「学芸員の仕事は、実に様々。資料の収集、保管、展示をして、さらに講演まで!」 「そんな学芸員の仕事を気軽に体験し、小千谷のまだ見ぬ魅力を一緒に発見しましょう!」 と、そんなことで始まった【市民学芸員体験講座】も2年目に突入。 活動報告や参加者の感想などをご紹介します。 第25回「遺跡整備演習⑥ 朝日山古戦場~昨年の調査範囲を拡げ、新たな陣地を探る~」 (2025年6月14日実施)
(報告:小千谷市学芸員 白井雅明)
【調査概要】
吉ヶ沢第一陣地の雑木伐採と雑草除去および金属探知機による発掘調査を行った。 調査時間は雨天のため、およそ2時間程度であった。 雑木伐採にあたっては、専門職員によるチェーンソーによる伐採作業、市民等による伐採樹木の除去作業を並行し行った。 調査の結果、塹壕(胸壁)遺構を二基検出した。 なお、遺物については、雨天に伴い満足な出土状況を得ることができなかったため、今後の課題としたい。 後日、浦柄史蹟保存会へ観覧いただき、大きな感謝と感動をいただいた。
【調査成果】
吉ヶ沢第一陣地においては、これまでの調査により、塹壕(胸壁)遺構を三基確認し、うち一基について、NHK歴史探偵の撮影等に伴い発掘調査を実施している。 今回の調査地点は、その北側斜面に位置し、朝日山山頂との中間に立地する。 近世より用いられた道状遺構と、その道に平行する形で二基の胸壁を検出した。 築城典刑等当時の指南書に則り造られて様子が極めて良好に、確認できたことが大きな成果と言える。 具体的に20-30mおきに胸壁を築き、戦局に合わせ利用する胸壁を随時変化させるという、典型的な散兵戦闘法を示す配置を呈する。これは昨年調査の太平キ第一陣地の事例においても、良好に確認されたもので、朝日山の戦いにおける奥羽越列藩同盟軍が用いた標準的な戦闘方法と位置づけられると考える。 銃弾等遺物が現状出土していないが、五月十三日における薩摩藩の進軍が、吉ヶ沢第一陣地南斜面を突破できていないことを鑑みれば、「盲打ち」をした銃弾が着弾しない限り、今回調査地点において多量の銃弾出土はないことが予察される。
【今後展望】
予察とした銃弾の出土状況について、追認により確認する必要がある。この結果により、薩摩藩の進軍具合を考察することができ、その調査結果は朝日山山頂における墓碑配置等を包括し、戦闘状況を復元するために極めて重要なものである。 また、三次元測量を実施し、詳細に遺構配置を記録することで、太平キ第一陣地と比較検討することが必要となる。さらに会津藩・桑名藩の両陣地における戦闘方法の標準化を検討し、幕末期における兵学の洋式化の練度を考察する上で、貴重な資料となるものである。 7月下旬以降、以上調査を実施・検討することを今後の課題と展望としたい。