西脇順三郎について
にしわきじゅんざぶろうについてこのページでは、西脇の代表作と絵画作品、略歴を紹介します。
代表的な著作
SPECTRUM(スペクトラム)
1925年(大正14年)ケイム・プレス社刊(ロンドン) 西脇順三郎は1922年(大正11年)28歳で慶応義塾留学生として、英語英文学、文芸批評、言語学研究のため、渡英した。英文詩集『SPECTRUM』はこの渡英中に自費出版された。 ロンドンではT.S.エリオットと一緒に同じ雑誌に英詩を発表する。また、ジョン・コリアーなど、イギリスの文学青年や作家、画家、ジャーナリストなどとしきりに交流を重ねていた。1925年、英国人の画家マージョリ・ビドルと結婚し、帰国した。 この渡英は彼に、モダニズム全盛期のイギリス文壇の空気を吸収させ、現代詩、現代文学、前衛絵画、彫刻などその後の「西脇順三郎」という詩人の誕生に決定的な影響を与えた。
Ambarvalia(アムバルワリア)
1933年(昭和8年)椎の木社刊 詩人としての決定的な評価を得ることとなった、西脇にとって日本で出版した最初の日本語の詩集。最初の「ギリシア的抒情詩」の「天気」のわずか3行で評価を得たともいわれる。 (覆された宝石)のやうな朝 何人か戸口にて誰かとささやく それは神の生誕の日 このワインレッド色の装丁の詩集を出版以後、1979年(昭和54年)87歳で出版した最後の詩集『人類』まで多数の著作を出しつづけた。
旅人かへらず
1947年(昭和22年)東京出版 詩集『Ambarvalia』以後戦時色が濃くなってからは、沈黙を守り詩集を出さなかったが、戦火がひどくなると故郷の小千谷に疎開し、さかんに日本画を描いたり、南画の研究などを行い、『旅人かへらず』の構想を抱く。終戦後、再び上京し、詩作を始める。 『Ambarvalia』などの昭和初期の作品とは詩風がまったく異なるため、詩壇から多大な関心を注がれた。
あむばるわりあ
1947年(昭和22年)東京出版 昭和8年の『Ambarvalia』を、戦後にその文体、語法に不満を覚えて徹底的に改作して出版。『旅人かへらず』と合わせ詩壇において評価がわかれた。
絵画作品
西脇順三郎は若い頃画家を志して上京し、藤島武二の内弟子となった。その後、父の死にあい、画家を断念することとなったが、「私はしろうとの絵かきで満足したい」と語っているように、生涯に渡り絵画に親しんだ。小千谷市では西脇の絵のほか、ロンドンで結婚した画家マージョリ・ビドルの絵画数点も所蔵している。
北海道の旅
油彩(1960年代)西脇に似ていることから、自画像ではないかともよく言われるが、自身は自分ではないと言っていた。
太陽(Ambarvalia)
油彩(1960年)詩集『Ambarvalia』にも出てくる「太陽」をイメージした絵画。「少年は小川でドルフィンを捉えて笑った」とういう詩の一節のとおり少年がドルフィンをつかまえている。
小千谷 - 信濃川
油彩(1950年代)小千谷市の中心を流れる信濃川。東西を結ぶ旭橋の下流から見た信濃川。現在、中央に描かれている木はない。
三田山上
油彩(1950年代)
伊太利の夏 - ハドリアヌス帝城址
油彩(1960年)実際にイタリアに行くと、まさにこのとおりの風景であるという。
ヴェニス - Basilica of the Salute
油彩(1962年)いわゆる西脇ブルーと言われている順三郎が好んだ青色を多く使って描いている。
遺品の絵筆
略年譜
1. 馥郁タル火夫ヨ 1894年-1934年
- 1894年(明治27年)1月20日
- 小千谷市(現・平成1丁目屋号「西清」)に生まれる。
- 1900年(明治33年)4月
- 小千谷市尋常小学校に入学。
- 1906年(明治39年)4月
- 新潟県立小千谷中学校(現・小千谷高等学校)に入学。
- 1911年(明治44年)3月
- 小千谷中学校卒業。画家を志望し上京、藤島武二の内弟子となり、白馬会に入会したが、当時の画学生の気質になじめず、画家志望をあきらめる。
- 1912年(大正元年)9月
- 慶應義塾大学理財科予科に入学。
- 1914年(大正3年)4月
- 慶應義塾大学理財科に入学。(大正6年卒業)
- 1920年(大正9年)4月
- 慶應義塾大学予科教員となる。
- 1922年(大正11年)7月7日
- 英語英文学・文芸批評・言語学研究のため、慶應義塾大学留学生として横浜出港。8月末、ロンドンに到着。
- 1924年(大正13年)
- パリでフランス印象派絵画に接する。7月、英国人画家マージョリ・ビッドルと結婚。
- 1925年(大正14年)8月
- 英文詩集『SPECTRUM(スペクトラム)』(ケイム・プレス社、自費出版)刊行。ロンドンから帰国。
- 1926年(大正15年)4月
- 慶應義塾大学文学部教授に就任。
- 1929年(昭和4年)11月
- 『超現実主義詩論』刊行。
- 1932年(昭和7年)
- 4月、マージョリ・ビッドルと離婚。8月、桑山冴子と結婚。
- 1933年(昭和8年)9月
- 詩集『Ambarvalia(アムバルワリア)』刊行。これによって詩人としての地位は決定的なものとなり、萩原朔太郎・室生犀星などの称賛を受ける。詩集『Ambarvalia(アムバルワリア)』刊行。これによって詩人としての地位は決定的なものとなり、萩原朔太郎・室生犀星などの称賛を受ける。
2. 幻影の人 1935年-1949年
- 1935年(昭和10年)
- この頃から戦時中を通じ約10年間、詩を発表せず沈黙、学術研究に没頭する。
- 1944年(昭和19年)12月
- 妻子を疎開させた小千谷市末広町佐藤宅へ赴き、詩集『旅人かへらず』の構想を抱く。
- 1947年(昭和22年)8月
- 詩集『あむばるわりあ』『旅人かへらず』刊行。
- 1949年(昭和24年)6月
- 『古代文学序説』により、文学博士の学位を受ける。
3. 豊穣の女神 1950年-1962年
- 1953年(昭和28年)10月
- 詩集『近代の寓話』刊行。
- 1957年(昭和32年)11月
- 詩集『第三の神話』により、読売文学賞を受賞。
- 1961年(昭和36年)11月
- 日本芸術院会員となる。
- 1962年(昭和37年)3月
- 慶應義塾大学文学部教授を退官。最終講義は「ヨーロッパ現代文学の背景と日本」。(1月27日)
4. 永遠の旅人 1963年-
- 1964年(昭和39年)8月
- 小千谷市名誉市民となる。
- 1971年(昭和46年)10月
- 文化功労者に選ばれる。
- 1976年(昭和51年)
- 西脇順三郎蔵書多数を小千谷市に寄贈。
- 1978年(昭和53年)6月
- 小千谷市立図書館開館と同時に「西脇順三郎記念室」を開設。
- 1979年(昭和54年)6月
- 詩集『人類』刊行。最後の詩集となる。
- 1982年(昭和57年)6月5日
- 午前4時20分、小千谷総合病院にて死去(満88歳)。6月15日市民葬。
- 1983年(昭和58年)7月
- 「西脇順三郎を偲ぶ会」発足。会報誌「幻影」刊行。
- 1985年(昭和60年)6月
- 小千谷市山本山山頂に詩碑建立。
- 1989年(昭和64年-平成元年)4月-5月
- 新潟市美術館にて、「永遠の旅人・西脇順三郎ー詩・絵画・その周辺」展開催。
- 1994年(平成6年)5月-7月
- 神奈川県立近代美術館にて、「馥郁タル火夫ヨ 生誕100年西脇順三郎 その詩と絵画」展開催。(主催:県立神奈川近代文学館・財団法人神奈川文学振興会)
- 2002年(平成14年)9月-11月
- 世田谷文学館にて、「没後二十年西脇順三郎」展開催。(主催:世田谷文学館)
- 2012年(平成24年)
- 慶應義塾大学アート・センター「西脇順三郎コレクション(西脇アーカイヴ)」開設。
- 2014年(平成26年)9月
- 小千谷市にて、「西脇順三郎生誕120年」の行事を挙行。(他に市内日吉町に詩碑を建立。澤・太田の共著で『西脇順三郎物語』を刊行)
- 2022年(令和4年)6月
- 現代の詩界を担う詩人の称揚と次代を創る新人の発掘を図ることを目的とした「西脇順三郎賞」「西脇順三郎新人賞」創設。(主催:西脇順三郎賞実行委員会)
※本年譜の時代区分は「馥郁タル火夫ヨ 生誕100年西脇順三郎 その詩と絵画」(1994年、主催:県立神奈川近代文学館・財団法人神奈川文学振興会・神奈川県立近代美術館)におけるテーマを活用しました。 ※本年譜は、CPCリブレNo.7『詩人 西脇順三郎 その生涯と作品』の「西脇順三郎 略年譜」(小千谷市立図書館・町田祥子)をもとに、新たな情報を加え再編集したものです。
権利情報
- ライセンス
- 著作権あり
- 備考
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