≪日本列島改造期における小千谷ならではの交流をみる時代≫
日本列島を改造するんだって
経済発展によって工業化が進み、自動車や家電製品などの製造や輸出が大幅に増加しました。また、田中角栄が掲げた日本列島改造論のように、日本中のインフラ整備や新幹線や高速道路などの交通網の発達によりモノと人の交流が盛んになり、日本が狭く感じられるほど人々の生活と価値観が大転換しました。その一方で、地域固有の文化が失われ、均一化がどんどん進みました。
小千谷市に高速道路ができるんだって
小千谷でも、市役所、学校、集会所、図書館、関越道小千谷ICの開通など、生活をより豊かにし、人々が交流するための施設が次々と完成し、まちににぎわいが生まれていきます。しかし、茅葺屋根の大家屋に代わり、金属葺の高床仕様の住宅が増え、生活の便利さと引き換えに「小千谷らしい建物」や「小千谷らしい景色」が徐々に失われていきました。また、これまで「利他」と「自治」によって取り組んできたまちづくりが、「自分たちで行う」ことから「誰かがやってくれる」ことに変化していった時期でもありました。
新しいファミコンのソフトが出るんだって
この時期は、子どもたちの娯楽も大きく変化しました。それまで、紙や木など身近な素材で出来ていた玩具は、プラスチックや電子基板に変化しました。より娯楽性が高く、一人でも没頭できるような遊びが増えました。そのため、子ども同士の交流が段々と狭くなっていきました。
【昭和から学ぶおぢやんしょ】
― 昭和は正解がある時代。今は正解がない中で、自分の正解はなんだろうって考えなきゃいけない ―
●小千谷アルバム≪昭和41年~昭和64年≫
1. 本町通り_昭和47年
2. 五辺神明さまの出店_昭和52年
3. 旭橋西詰_昭和40年代
4. 片貝町_昭和40年代
5. 小千谷駅付近から東栄を望む_昭和40年代
6. 本町通り_昭和40年代
7. 船岡まつりのヒーローショー_昭和57年
8. さようなら魚沼線_昭和59年
かき氷の機械
冷凍冷蔵庫の普及により、家庭でも簡単に作れるようになりました
音声や映像の記録媒体
昭和の様々な思い出が、ここに記録されていました
フィルムのカメラ
現像に出すまで、どんな風に撮れたかはわかりませんでした
小千谷のかるた
小千谷を知るための玩具で、1988年に小千谷青年会議所が作りました
家庭用のゲーム機
カセットやディスクを本体に差し、テレビにつないで遊びました
食事の再現
米を主食とする和食が主流で、一汁三菜が基本でした (写真はおかずが一品足りませんね…)
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