【みんなの手で、未来づくり大作戦】2025-特別展-絵紙調査隊を始めた人
みんなのてで みらいづくりだいさくせん 2025 とくべつてん えがみちょうさたいをはじめたひと小千谷の文化財を受け継ぎ未来につなげる人たちの、手と声を、聞き取り調査をもとに紹介します。
2025-特別展③ - 小千谷は浮世絵が普通にあるまち - 鈴木俊幸 中央大学文学部教授(1956年生まれ)
浮世絵は専門ではない
専門は近世文学の書籍文化。浮世絵は出版の文化の一端なので、守備範囲ではないけれど、蔦重(蔦屋重三郎)を攻めていたから関連するものなどを横目にみていた。あと、浮世絵ではないけど、平木(平木浮世絵美術館)の館長につかまって、吉原細見の発行者・蔦重について書いてくれと言われ、図録に書いたりもした。
小千谷に来るようになったきっかけ
知り合いに長唄の先生がいて、その人から「小千谷に変な浮世絵があるから見に行ってほしい」と連絡がきた。意味が分からなくて、とりあえずと行ったのが表久(寺町の横山表具店、これ以降、調査隊受け入れの中心となった)で、話をすると奥からつなぎ合わせてある浮世絵をどんどん持ってきた。 聞けば、これは「絵紙(えがみ)」と言って、お雛様に飾る道具で、この辺の家には普通にあるらしい。しかも、あまりに普通で処分する人も多いという。そこで、これは大切なものですよと分かってもらう意味もこめ、各家の絵紙を調査して目録を作る絵紙調査隊の活動を始めた。
絵紙調査隊としての活動
小千谷の調査は、やってもやっても、次から次から絵紙が出てくる。いい加減にしてくれと思った。
絵紙の写真を撮っているところ。左が表久(横山久一郎)さん。
ただ、表久が上手で、絵に飽きた頃に、図書館にある和本を見せてきたりして、その目録作りをした。魚沼神社が秋の台風で被害にあった時は、土に汚れて濡れた古文書などをきれいにしたりした。大般若経も、ボロボロなのを持ってきて、表久の家で作業した。魚沼神社の古文書の目録作りは、信州大学の山本さんたちに引き継いだ。
小千谷市ホームページ
外での展示
平木浮世絵美術館の館長に「こんな面白いものがあるけど」と言ったら、展示をやろうかということになった。横浜の美術館(1998年「越後小千谷の浮世絵展ー浮世絵に囲まれた雛祭り―」平木浮世絵美術館)に寺町や本町の絵紙をあるだけもってきて、壁一面に飾った。展示準備には、小千谷からも表久や藤巻(寺町の藤巻時計店)とかがきて一緒にやったんだけど、絵紙を画鋲で飾りだすから、学芸員が青くなって報告してくる。「あの人たち、浮世絵に画鋲を挿すんです」と。館長は、それが小千谷だと面白がっていたけど、結局途中で説得されて、ちゃんとしたのに変えていた。 平木ではもう一度、東京(2009年「越後・小千谷のひな祭りー今に生きる浮世絵―」平木浮世美術館 UKIYO-e TOKYO)で展示した。
30年間、調査隊が続いている理由
浮世絵は専門でないし、小千谷のネタは平木の展示用に書いたくらいで、何も論文にしていない。調査隊メンバーで書いたのは、丹羽(現在は鹿児島大学法学部教授)くらい。調査をやめようと思わなかったわけじゃないけど、ほかのメンバーもやるといえば来るし、ここで会えるというのも続いてきた理由の一つ。 中越地震が起きて、たくさんの絵紙がなくなった。それでも、小千谷にはまだたくさんの絵紙が残っている。地域にこれだけの数があるのは、日本でもここだけと言っていい。
小千谷で好きなもの
関わった人たち。面白くて、ほっとけない、やばいおじさんたち。
鈴木 俊幸 (著)
(2024年9月)