≪戦後復興期における小千谷ならではの利他をみる時代≫
高度に経済を成長させる
戦後、日本は連合国の占領下で、日本国憲法の施行など現代につながる民主化が進められました。様々な経済復興政策が実施され、さらに朝鮮戦争特需の追い風を受け急速に経済が成長していきました。また、東京タワー建設や東京オリンピック開催という国を挙げての事業など、まさに日本中が、一丸となって復興という一つの目標に向かって邁進する時期でした。一方で、公害の発生や首都圏への一極集中などの社会課題が表出しました。
たくさんものを生産させる
小千谷も、鉄工業や農業の近代化により経済復興をとげました。そして昭和29(1954)年に小千谷市が誕生します。人口の増加に伴い、鉄道や病院など公共インフラの整備が行われ、まちの姿がどんどん変容していきました。その建設にあたっては、まちの未来を想い「利他」の精神で私財を投じた人々がいたこと、また、道路を普請するために重たい石を信濃川から運び上げた多くの人がいたことを忘れてはなりません。
遠方に思いを伝播させる
それまでの通信手段と最も変化した点は、文字でのやり取りから「音声」そして「映像」になったことでした。電話やラジオは音や声を電波に乗せて、思ったとたんに言葉を伝えることができます。また、白黒テレビが一般に普及し、音だけでなく姿形を全国津々浦々に一斉に、正確に情報が伝えられるようになりました。このように、情報の形や伝わり方が大きく変化した時期でした。
【昭和を楽しむおぢやんしょ】
― 昭和は今から比べると不便は不便。この年になったから、昭和を生きてよかったなぁと思う ―
●小千谷アルバム≪昭和21年~昭和40年≫
1. 市制施行パレード_昭和29年
2. 縮の鳥居_昭和29年
3. 仮装行列(花紅葉名作歌舞伎道中)_昭和33年
4. 雪の上でおままごと_昭和30年
5. 東大通りの第四銀行_昭和30年代
6. 岩沢駅前の旅館_昭和30年代
7. 給食風景_昭和30年代
●「持ち運べる昭和のテレビ」と「レトロな赤いポット」≪市民持ち寄り展示③≫
食卓の再現
ちゃぶ台を囲み、大皿料理を取り分けて食べていました
イベントのポスター
小千谷町作成のポスターで、町章は現在の市章と同じものでした
昭和初期のカメラ
蛇腹式のレンズが特徴で、展示している写真の一部も、このカメラで撮られました
子どもの絵本
小千谷出身の画家、吉澤廉三郎が表紙を描いていました
ダイヤル式の黒電話
壁掛けの電話に比べ、交換方式など気軽な通話が可能になりました ★実は電話線をつなげば現在でも通話は可能です
ブリキのおもちゃ
子どもの遊ぶ道具で、外貨獲得のために重要な輸出品でもありました
Hi-Fi仕様のラジオ
真空管ラジオより電波の受信が良好で、音が格段に良くなりました
照明器具の変化
和紙の行灯
年代:昭和 素材:木材と油皿、和紙
【この展示ができあがるまで~中学生による、展示資料の収集・調査・展示の実践~】
このページは小千谷市郷土資料館が作成しました。 掲載コンテンツの二次利用条件などはこちらのページをご覧ください。