外敵からムラを守るために山を削り、盛る。【2024-常設展示 中世】
がいてきからむらをまもるために やまをけずり もる 2024 じょうせつてんじ ちゅうせい中世、特に室町時代~江戸時代の初期は、武力によって自分の生活の改善をはかることが続いた時代でした。それは小千谷でも同じことで、武力で向かってくる外敵に対して、武力で立ち向かわなければなりませんでした。武具が同等でも、人数が劣る場合、最も効果を発揮するのが「城」です。城と言っても天守を建築し建物で山をめぐらすようなものではありません。その「土から成る」という文字通り、山を削り、土を盛って作った山の砦のような存在でした。 普段は山の裾に暮らし、外敵の侵入にあたり、城に立てこもり衝突します。こうして人々は自分の大切な家族と財産を守り、暮らしていました。 小千谷は地形的な特徴から城を作るのに適地であり、20を超える名城が築かれてきました。薭生城・内ヶ巻城・時水城・高梨城・函山城・真人城は史跡として市の文化財に指定されています。中でもこの4つが見ごたえのある城です。
薭生城【市指定史跡】
平子氏が築いた城で、「越後三大竪堀」とも呼ばれる、100条以上を数える、山頂から数100m続く堀が特徴です。
連続する竪割
頂上からの眺望(山本山方面)
内ヶ巻城【市指定史跡】
田中氏が築いた、小千谷で最も大きな城です。連続堀切や土塁に見ごたえがあります。「御館の乱」において防御施設を強化しており、越後の山城の完成形といっても過言ではありません。≪内ヶ巻・川井城郭群の構成要素≫
遠景(山本山から)
時水城【市指定史跡】
山中7合目あたりから始まる階段状に仕上げた切岸が特徴です。ハイキングコースとしてお馴染みです。
堀切(橋は復元)
頂上からの眺望(小千谷方面)
小千谷市街地から
高梨城【市指定史跡】
高梨氏が築いた、平城と呼ばれる平野部にある城です。信濃川や付近の河川を天然の堀として防御を固めています。
地元では城主の墓と伝えられる
土塁遠景