江戸時代以来の悲願成就【小千谷アルバム】
えどじだいいらいのひがんじょうじゅ おぢやあるばむ【小千谷アルバム】は小千谷の古い写真の紹介と、その撮影した時の場所や時代などの情報を推定する取り組みです。
昭和56年 : 小千谷大橋
『三国街道に橋をかける』実は江戸時代以降の人々が考えていた夢である。どうしてか。小千谷から長岡駅に行く時、旭橋から下流に橋が無かったことを想像してみてほしい。浦柄~妙見に難攻不落の険として榎峠が鎮座するのである。「トンネルを掘れば良い」と考えるかもしれないが、この峠はご存知のとおり中越地震において山が崩壊してしまうほど扱いの難しい険である。このため自動車も土木機械もない時代の人々は、この険をひたすら九十九折に登山するか、何とか舟を用いて川下りするしかなかった。「それなら橋を架ければいい」簡単に言ってはいけない。航空写真など信濃川の川幅の推移を見てほしい。旭橋より下流は川幅がどんどん広がっていることが確認できると思う。実はこの橋、現代の技術をもってして初めて架けることができたのである。もし江戸時代の人々が現代の三国街道を往来した時に一番喜ぶことは、立派な舗装道路でもなく、上越国境の新三国トンネルでもなく、この『榎峠を越えなくても良い』ということであるのは想像に難くない。
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