【みんなの手で、未来づくり大作戦】2025-夏季企画展①
みんなのてで みらいづくりだいさくせん 2025 かききかくてん 1小千谷の文化財を受け継ぎ未来につなげる人たちの、手と声を、聞き取り調査をもとに紹介します。
昭和を語り継ぐおぢやんしょ
2025-夏季企画展① 昭和16年生まれ(小粟田) -今は幸せだけど、やっぱり戦争のために人生が変わったんだと思う-
①小学校に行くとき何を着ていましたか?
夏は襟付きのシャツ、襟は丸襟ではなく角襟。下はズボンだったりスカートだったり、いろいろだった。冬は手編みのセーターにズボンで、その上にカーキ色の帽子付きのマントを着ていた。冬の靴は「わらぐつ」で、小学校6年で金持ちの子がようやく長靴を履いてきた。 カバンも今のようなランドセルではなく、かたくてカーキ色の背負うものだった。
②小学生の頃、普段家で食べていた晩御飯はなんですか?
ごはんとみそ汁。おかずは、なす味噌や魚。 魚は「しょい(背負い)売り」が売りに来た塩ますや塩サバ。小粟田に豆腐屋さんがあったので豆腐はそこで買って、家の2階に鶏を飼っていたから卵はあったし、畑をしていたから野菜もあった。
③小学校の給食で好きだったメニュー、覚えているメニューはなんですか?
給食はなかった。小学校の頃は、お昼は家に帰った。中学校は弁当だったけど、昼帰る人もいた。弁当は、ごはんに梅とあと何か入ってたかな。 家に帰ってからのおやつは、干しにしん、さつまいも、ぐみ、くわいちご、スッカンボウにスッカシ。
④小学生の頃、家に帰ってからどこで遊びましたか?何時まで遊びましたか?
鎮守様や庭で、イシキリやなわとび。暗くなるまで遊んだ。
⑤小学生の頃、家では何で遊びましたか?
自分の家は、一人だったから絵本を読んだり、勉強したり。 友達の家に行ったり、家に友達がきたときは、ままごとしたり、4、5年生の頃は小説を書いて遊んだりしていた。
⑥昭和はあなたにとってどんな時代ですか?
イケイケの時代なんだけど、緩やかで、今のようにガチガチでなく、ゆるしてくれる大らかさがあった。子どもたちも地域ぐるみで見てるから、ひとんちの畑の野菜も食べたし、逆に悪いことしたら近所の人に叱られたりもした。今は、なかなかそういうわけにはいかない。
⑦あなたの戦争に対するイメージは?
父親が戦死してるけど、小さかったからいないのが当たり前で育った。ただ、父親が生きていたらいろいろ違ったんだろうと思う。兄弟もいたかもしれないし、今、こういうこと(遺族会や語り部の会の活動)をしていなかったかもしれない。今は幸せだけど、やっぱり戦争のために人生が変わったんだと思う。 戦争は人の人生を変える、全ての人を不幸にする。
(2025年7月) このページは小千谷市郷土資料館が作成しました。 掲載コンテンツの二次利用条件などはこちらのページをご覧ください。