ホントカ。

【みんなの手で、未来づくり大作戦】2025-夏季企画展①

みんなのてで みらいづくりだいさくせん 2025 かききかくてん 1

小千谷の文化財を受け継ぎ未来につなげる人たちの、手と声を、聞き取り調査をもとに紹介します。

おぢやの千の宝
2025年7月10日公開(2025年10月5日更新)

昭和を語り継ぐおぢやんしょ

2025-夏季企画展① 昭和16年生まれ(小粟田) -今は幸せだけど、やっぱり戦争のために人生が変わったんだと思う-

【みんなの手で、未来づくり大作戦】2025-夏季企画展①

おぢやの千の宝
1枚の写真の1枚目

①小学校に行くとき何を着ていましたか?

夏は襟付きのシャツ、襟は丸襟ではなく角襟。下はズボンだったりスカートだったり、いろいろだった。冬は手編みのセーターにズボンで、その上にカーキ色の帽子付きのマントを着ていた。冬の靴は「わらぐつ」で、小学校6年で金持ちの子がようやく長靴を履いてきた。 カバンも今のようなランドセルではなく、かたくてカーキ色の背負うものだった。

②小学生の頃、普段家で食べていた晩御飯はなんですか?

ごはんとみそ汁。おかずは、なす味噌や魚。 魚は「しょい(背負い)売り」が売りに来た塩ますや塩サバ。小粟田に豆腐屋さんがあったので豆腐はそこで買って、家の2階に鶏を飼っていたから卵はあったし、畑をしていたから野菜もあった。

③小学校の給食で好きだったメニュー、覚えているメニューはなんですか?

給食はなかった。小学校の頃は、お昼は家に帰った。中学校は弁当だったけど、昼帰る人もいた。弁当は、ごはんに梅とあと何か入ってたかな。 家に帰ってからのおやつは、干しにしん、さつまいも、ぐみ、くわいちご、スッカンボウにスッカシ。

④小学生の頃、家に帰ってからどこで遊びましたか?何時まで遊びましたか?

鎮守様や庭で、イシキリやなわとび。暗くなるまで遊んだ。

⑤小学生の頃、家では何で遊びましたか?

自分の家は、一人だったから絵本を読んだり、勉強したり。 友達の家に行ったり、家に友達がきたときは、ままごとしたり、4、5年生の頃は小説を書いて遊んだりしていた。

⑥昭和はあなたにとってどんな時代ですか?

イケイケの時代なんだけど、緩やかで、今のようにガチガチでなく、ゆるしてくれる大らかさがあった。子どもたちも地域ぐるみで見てるから、ひとんちの畑の野菜も食べたし、逆に悪いことしたら近所の人に叱られたりもした。今は、なかなかそういうわけにはいかない。

⑦あなたの戦争に対するイメージは?

父親が戦死してるけど、小さかったからいないのが当たり前で育った。ただ、父親が生きていたらいろいろ違ったんだろうと思う。兄弟もいたかもしれないし、今、こういうこと(遺族会や語り部の会の活動)をしていなかったかもしれない。今は幸せだけど、やっぱり戦争のために人生が変わったんだと思う。 戦争は人の人生を変える、全ての人を不幸にする。

(2025年7月) このページは小千谷市郷土資料館が作成しました。 掲載コンテンツの二次利用条件などはこちらのページをご覧ください。

ホントカ。小千谷市ひと・まち・文化共創拠点
住所:〒947-0021 新潟県小千谷市本町1丁目13番35号電話:0258-82-2724FAX:0258-82-8915
開館時間:
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食アンカー
発アンカー
響アンカー
※演アンカー西側トイレは24時間利用可能
休館日:毎月第2, 4火曜日及び年末年始
第2・第4火曜日
祝日に当たるときは、その翌日以後の最初の休日でない日
年末年始
12月29日から翌年の1月3日まで
食アンカー
毎週月・火曜日、年末年始

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