1.おぢやの昭和第一期【2025-夏季企画展】
1 おぢやのしょうわだいいっき 2025 かききかくてん≪戦時下における小千谷ならではの自治をみる時代≫
戦争が動く
世界恐慌の影響で日本も経済が悪化し、国を挙げて経済的、物質的な不足を補う一方で、軍部が大きな力を持ちました。やがて日本全体が満州事変から日中戦争、さらに太平洋戦争・第二次世界大戦という過酷な経験をします。戦地はもちろん、国内の人々にも大きな被害や生活苦をもたらしました。
戦争に生きる
戦争の拡大に伴い、小千谷からもたくさんの人が出兵しました。市民から盛大に送り出され、中国大陸や南太平洋の国々など見たこともない土地に行き、誰も経験したことのない戦いをしました。大切なものを守るために過酷な状況に必死に抗い、時代をつないでくれた先人たちへの感謝は尽きません。
戦争と生きる
出兵を見送った人々には戦時下の暮らしがありました。戦争の不安と少ない物資の中で、小千谷の人々がどのような「銃後の生活」を送っていたかを示す資料として『田中積市郎日記』があります。この日記には、戦時下でもたくましく諸問題に向き合い、自治を行って生きる人々の姿が記されています。そんな生活の中にも、教育や娯楽の影に「日本国民として」次第に戦争に協力していく様子が見て取れます。 銃後を守り抜いた家族の元には、戦地から無事に帰ってきた人もいれば、手紙一枚しか帰ってこない人もいました。この違いが、家族のその後の生活に多大な影響を与えたことは想像に難くありません。 そして、昭和20(1945)年8月15日、玉音放送とともに終戦を迎えます。
【昭和を語り継ぐおぢやんしょ】
― 今は幸せだけど、やっぱり戦争のために人生が変わったんだと思う ―
●小千谷アルバム≪昭和元年~昭和20年≫
1. 岩澤小学校創立50周年_大正14年
2. 川岸町(元町)のお祭り_昭和3年
3. 町葬(本町)_昭和6年
4. 明治神宮スキー大会(山本山)_昭和9年
5. 二荒神社でラジオ体操_昭和10年頃
6. 船岡橋_昭和初期
7. 農繫期季節託児所_昭和13年
●手作りの絵本≪市民持ち寄り展示①≫
太平洋戦争で父親を亡くした女性が、平和への祈りをこめて自作し自身の孫へあてた絵本
絵本の中身はフォトツアーからご覧いただけます。
●小千谷アルバム≪戦争の時代≫
1. 慰問袋を作る婦人会_昭和15年頃
2. 小千谷工兵大隊_昭和初期
3. 武道大会優勝の記念撮影_昭和14年
4. 中国への慰問 双葉山一行_昭和15年頃
5. 小千谷町女子国民勤労報国隊_昭和10年頃
6. 出征壮行式_昭和10年代
7. 戦地の家族を待つ(塩殿)_昭和10年代
●私の祖父≪市民持ち寄り展示②≫
●戦艦『伊勢』の模型
【大平圀斌氏(高梨) が昭和10年代に製作】 従来の扶桑型戦艦の改良型として就役。装甲防御と推進性(最大速度23ノット)の改良により、当時「日本製の戦艦としてついに世界水準の性能に達した」と言われたようです。昭和10年代に数回にわたる近代化改装が行われました。そのため昭和15年に艦齢25年を迎える老艦ながら、戦艦としての総合能力では太平洋戦争開戦時でも世界標準を保っていたそうです。 大平圀斌氏は教育者・登山家の大平晟氏の子息で、模型製作を趣味としていたようです。この模型は、数回にわたる近代化改装の途中経過を示す貴重な資料です。
【戦艦伊勢の略歴】 ・大正 4年 5月10日 神戸川崎造船所にて起工。 ・大正 5年11月12日 進水。 ・大正12年 9月 7日 ~30日 関東大震災の救援活動に従事。 ・昭和 7年 4月 1日 第一艦隊第一戦隊に編入。 ・昭和16年 12月 8日 ~13日 太平洋戦争で真珠湾攻撃を支援。 ・昭和17年 5月 29日 ~6月17日 ミッドウェー海戦を支援。 ・昭和19年 10月 20日 ~31日 フィリピン沖の海戦に参加。 ・昭和20年 7月 28日 呉港外三ツ子島沖にて米軍の爆撃により大破し着底。 ・昭和20年 11月 20日 除籍。(21年10月9日~22年7月4日 爆撃現場にて解体)
日本陸軍の軍服
太平洋戦争開戦前ので、カーキ色が特徴の夏服です
軍歌のレコードと蓄音機
昭和戦前に作られた軍歌が収録されています
空襲から守るための防空ずきん
空襲のときに爆弾や火事から顔や頭をまもるためにかぶります
子ども用のカルタ
昭和16年『国民學校カルタ』
戦争のための貯蓄証書
国民の貯蓄や保険を通じて、戦争の資金としました
映画のチラシ
日中戦争が舞台の映画で、本町にあった明治座にて上映されていました
戦時中の標語消印
戦意高揚のために郵便物の消印に短文が押印されました
戦地からの手紙
軍事郵便で、目立つところに「検閲印」が押印されました
手紙の内容
食事の再現
「箱膳」という一人用の食器を収納できる蓋つきの木箱を台にしていました
真空管のラジオ
昭和20年8月15日に「玉音放送」がこのような型のラジオから流れ、太平洋戦争が終結しました
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